来いや!

来いや!

兵庫県 会社員 Hさん(40代・男性)の恐怖体験談

異常なほど教育熱心な両親のもとに生まれた私は、殊更に勉強面においては、非常に厳しい家庭で育ちました。
中学校に上がってからは、隣町から家庭教師を雇い、週に4日の授業に加え、試験前ともなるとほぼ毎日のように、長時間の勉強を強いられていました。

そんな私の唯一の息抜きは、親友である貴正(タカマサ)の存在でした。

ある日の学校の昼休みに、貴正からある「作戦」を持ちかけられました。

「えーか?まずオレが、2階のオマエの部屋の下まで行って、窓に小石をぶつけんねん。それが合図や。時間はそやなぁ、12時やったらオトンもオカンも寝てはるやろ?そしたらオマエそーっと窓から出て、1階の屋根を伝って降りてこい。」

妙案でした。

中学生の私には心躍るような、精一杯の大冒険です。
見つかればこっぴどく叱られるでしょう。

しかし、窮屈な日常生活のストレスからほんのひと時でも解放されたかった私は、その恐怖より、心踊るような冒険心の方が上回りました。

その夜、いよいよ決行の時間が近づいてきました。

あらかじめ台所からくすねておいた飲み物やスナック菓子をナップザックに入れて、その時を待ちました。

12時を少し過ぎた頃、家鳴りのような小さな音がしました。
窓を開けて庭を見ると、1階の屋根の向こうに貴正の影がありました。

「ヒサユキ!来いや!」

声には出しませんが、貴正は下から何かを手で掬い上げるようなジェスチャーで私に降りるように促しています。

音を立てないよう細心の注意を払いながら、私の部屋の窓から伸びる1階の屋根瓦の上を、逆さまの四つん這いで慎重に進みました。

鼓動の高鳴りさえ、階下で就寝中の両親に聞こえてしまうのではないかと思うほど興奮したことを、今でも鮮明に覚えています。

屋根の際まで行くと、竹製のハシゴがかけてあり、その下にはご丁寧に靴が1足、綺麗に並べられていました。

私は裸足で飛び降りて行くつもりだったので、貴正の用意周到ぶりには下を巻きました。

脱走後、私が「裸足で行くつもりやった」というと、

「アホやな。そんなんしたら、部屋に帰られへんやんけ。菓子持ってきて靴持ってけぇへんのかいな!」

貴正に言われ、やっと気づきました。

合図で投げた小石のサイズ感といい、ハシゴに靴まで持ってくる計画性といい、我が親友の賢さが、なんだか誇らしく思えました。

家の近所にある神社の境内で、1時間ほど親友と交わす他愛もない話は、まさに私の人生において、宝石のような時間でした。

それから何度かこの作戦を楽しんだのですが、ある日、たまたま尿意を催した父に見つかり、貴正共々ひっ捕らえられ、2人して大変な説教を食らったことで、この一大イベントは敢えなく終了となりました。

そしてその年の夏、大事件が起こりました。

夏休み中に、貴正が遠方に引っ越すことになったというのです。
まさに青天の霹靂です。

彼が乗る車、いえ、私にとっては彼を連れ去っていく車を見送った後は、まるで魂が抜けてしまったような感覚に陥り、しばらくは食欲もなく、学校の先生や両親をかなり心配させてしまいました。

親友を失い、やることがなくなった私は、結果的に勉強に割く時間が増え、高校は県内の進学校に進み、その後は大阪の公立大学に進みました。

「公立の大学に行くなら一人暮らしをさせてやる」という両親の提案に奮起したこともあり、大学生活は府内のマンションでの一人暮らしからスタートしました。

それから数ヶ月経ち、一人暮らしにも大学生活にも少し慣れてきた頃のことです。

久しぶりにアルバイトから遅く帰った私は、コンビニ弁当を食べ、シャワーを浴びて、窓際のベッドに寝転びました。

少しウトウトした頃、パチン!と家鳴りのような音で目が覚めました。

「何の音や?」

気にせずもう一度目を閉じると、またパチン!と音がします。
その音の発生源は間違いなく窓の方で、しばらく様子を見ていると、再度パチン!と、今度は何か小さなものが、窓に当たるのが見えました。

その時、「貴正や!」という思いが、突如として走馬灯のように溢れ出ました。

「貴正!ちょっと待って。今行くから!」

私は反射的にベッドから飛び起き、窓を開けて下を覗くと、階下に貴正の姿がはっきり見えたのです!

彼はあの日のまま、そのままの姿で私の方を見上げ、例の下から何かを手で掬い上げるようなジェスチャーで、私に降りてくるように促しています。

「今行くからな!待っといてや!」

窓を開け、片足を窓の外に出したその瞬間、私は気づきました。

「やばっ!ここ6階や!!」

慌てて部屋の中に転がり込んだ私は、冷や汗でびしょびしょになりながら、もう一度這うように窓まで行き、階下で待つ貴正の姿を探しましたが、彼はもうそこにはいませんでした。

それからしばらくは、まさに放心状態でした。

後で気づいたことですが、貴正の姿を見た時、中学生の頃に2階から見た大きさと、マンションの6階の窓から見た貴正の大きさは、全く同じでした。
と言うことは、6階から見た貴正は、宙に浮いてたと言うことになります。

後日聞いた話によると、貴正はあの時引っ越してから数年後、ご両親共々事故で亡くなってしまったと言うことです。

それにしてもなぜあの時だけ、貴正は私を迎えに来たのでしょうか?
私に何か伝えたい事があったのでしょうか?
彼はまたいつか、私を迎えにくるのでしょうか?

今でもそれがとても気になっています。

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