山梨県 公務員 Wさん(40代・男性)が娘さんから聞いた恐怖体験談
私が暮らす片田舎のこの町で、地域の医療を懸命に支えようとする医師がいた。
名前が「安孝(ヤスタカ)」であることから、いつの頃からか「アンコウ先生」と、皆から親しみを込めて呼ばれるようになった。
アンコウ先生の父親もまた医者で、小さい頃からのかかりつけ医として、2世代、3世代に渡って世話になる者も多かった。
アンコウ先生は、地域医療に献身的に取り組むその姿勢から、時に「神」と崇められるほどの名医であり、人間的にも申し分ない人物だった。
「それに引き換え・・・」
と嘆息を漏らすのは、近隣住民の大半を占める同一見解だろう。
アンコウ先生の一人息子である大志(たいし)もまた、代々続く家業を継ぐつもりで医者になったのだが、これが「あの家系の血縁か?」と疑いたくなるほど無能な人物だった。
子供から大人まで口を揃えて言う「ヤブ若先生」とは、大志の蔑称で、誰ひとり本当の姓名で呼ぶものなどいない。
事実、痛風さえ見抜けず、足の親指の痛みを訴える患者を「うちは外科じゃないから」と言って追い返したと言うエピソードは、地域の語り草となっていた。
その後、蔑称は「ヤブ若」を通り越して「ヤブ馬鹿」と蔑む者まで出てくる始末だったのだが、それほど蔑まれる理由は他にもあった。
「ヤブ馬鹿」の身長は160センチほどで、体重はおそらく100キロはあろうかという巨漢だった。
その上、30代前半で薄くなった頭髪をなびかせながら、似合もしないサングラスをかけて外国製のオープンカーを乗り回すという趣味を持っていたことは、田舎町の住民には理解し難い感情を植え付ける結果となった。
そしてある日、その事故は起こるべくして起きた。
以前から「ヤブ馬鹿」は分不相応なスポーツカーで、一般道はもちろん、通学路にもなっている狭い農道を相当なスピードで走っていたことを指摘され、近隣住民から猛烈な抗議を受けていた。
それからしばらくの間は、さすがの「ヤブ馬鹿」も、町内だけは大人しく走っていたのだが、ちょっとでも町を出ると、また猛スピードで走り回っていると言う噂が立った。
案の定、住民の嫌な予感は、さほど時を待たずに的中することになった。
隣県の農道を猛スピードで走っていた「ヤブ馬鹿」は、帰宅途中の小学生を跳ね上げた。
田畑に落ちればまだマシだったのかもしれないが、その子は運悪く畑の中にあったトラクターの後部に叩きつけられ、一命は取り留めたものの、数箇所の骨折に加えて、右手の小指と薬指を欠損する大怪我を負った。
それだけでも許し難い行為なのだが、さらに悪いことに、裁判で執行猶予のつく判決が下されたことが、住民の怒りに火を付けた。
その結果、流石のアンコウ先生の人徳も及ばず、「ヤブ馬鹿」はとうとう町内から姿を消した。
かくして平和な田舎町の生活が取り戻せたと、住民一同安堵していたのだが、それから半年も経たないうちに、またしても事件が起きた。
小学校の集団検診の日。担当はもちろんアンコウ先生だったはずなのだが、当日の朝になって、アンコウ先生が急な発熱で検診に行けなくなったため、代わりにどこかに仕舞い込んでおいた「ヤブ馬鹿」を掘り起こして派遣することになったのだ。
健診に現れた「ヤブ馬鹿」を見て、泣き出す生徒もいる中、アンコウ先生の右腕とも言える優秀な看護師の葉子さんと、校長や教頭、担任の先生方が懸命に生徒たちをなだめすかして、順番に診てもらうことになった。
全校生徒が50人ほどの学校で、1年生8人の診察が終わった頃だった。
どこかに仕舞い込まれる前よりさらに太った印象の「ヤブ馬鹿」は、ずっと貧乏ゆすりをしながら、窮屈そうにパイプ椅子に座って、順番に舌圧子を使って喉の奥を見たり、聴診器を当てたりしていたのだが、どうもパイプ椅子と巨体との相性が悪いらしく、両手で椅子の蝶番部分を持って体勢を変えようとしたその瞬間、重さに耐えきれなくなった蝶番部分に指を入れた状態で椅子が壊れ、尻餅をついてしまった。
100キロ以上の体重で金具に挟まれた指は、ザクっという音と共にあっけなく千切れ飛び、辺りは吹き出した血に染まり、生徒たちはもちろん、先生方も阿鼻叫喚のパニックに陥った。
その時、現場で一部始終を見ていた娘の話によると、当の「ヤブ馬鹿」は、やはりパニックになったのか、ちぎれ飛んだ自分の指を拾って、机の上にあったセロハンテープでくっ付けようとするのを、看護師の葉子さんに「先生!そんなことしちゃダメ!!」と制止されていたらしい。
その場で唯一冷静だった看護師の葉子さんだけは、「ヤブ馬鹿」から千切れた指を取り上げ、他の先生に指示して持って来させた氷入りのビニール袋に入れて、駆けつけた救急隊員に渡したそうだ。
結局、切れた指は右手の4本。看護師の葉子さんの適切な処置のおかげで、そのうちの2本はくっついたらしいが、小指と薬指はとうとう付かなかった。
奇しくも「ヤブ馬鹿」に跳ねられた小学生と同じ指を失ったのだから、「因果は皿の縁」とはよく言ったものだ。
因果とは皿の縁を一周するくらい、あっという間に回ってくるのだ。
それ以来「ヤブ馬鹿」を見たという住民はいない。